規格化・標準化の弊害

2018-01-27

ゴミから独創的な家を創る建築家の話が、建築やモノ作りの枠を超えて哲学や心理学の話に及び非常に核心を突いた内容だったので備忘として残そうと思います。
私は合理性や効率を重視する考え方ですが、それとは全く逆の発想に考えさせるものがありました。

Creative houses from reclaimed stuff – Dan Phillips(2013/07/17)

無意識のうちに既成概念にはめてしまう人間の心理

人間は見たものや感じたものを無意識に頭のデータベースの中にある既存の考え方のどれかにあてはめたがるとのこと。つまり、見たものをありのままに捉えるのではなく、最も近似する既成の概念のどれかとして解釈する。建築で言うと、その建築物の構造的特徴を既存の概念にあてはめたがる。
そのため、ゴミを再利用して無理やり作ったような家は、構造的特徴が既存の概念の家とかけ離れておりなかなか受け入れ難い。しかし、それでは頭のデータベースに新しい概念が蓄積されていかないが、繰り返せすことでパターンが生まれ、頭の中のデータベースに組み込まれていくと語っていた。
ゴミの再利用物で作った独創的なスタイルの建築物もその活動を繰り返してきたことでパターンが生まれ1つの概念として確立し認められるに至ったと話していた。
繰り返すことで世の中に新しい概念を提唱した本人の言葉だけに説得力を感じた。

アポロンとディオニソス

アポロンとディオニソスはギリシャ神話に出てくる神のようです。そのあたり全くわかりませんが・・ギリシャ神話の神といえばポセイドンくらいしか聞いたことがありません。プレゼンの中でざっくり説明していましたが、アポロンは計画的で完璧主義、ディオニソスは情動的で直感派だそうです。wikipediaを見るとこの2人の神は対象的な存在であるとニーチェも言っているそうな。
このアポロンとディオニソスを引き合いに出して語られていたことは、アポロン的な人は計画に合わない、完璧ではないものをすべて捨てるタイプで、こういうタイプは大量のゴミが出でしまうということ。確かに、特に仕事では計画を立てて計画通りに進めることが良しとされているし、完璧ではない=仕様と異なるモノは不良品や故障品としてみなすのは自然なことであるように思いますが、それが大量のゴミを生み出す考え方として潜んでいるというのはなるほどと思いました。

規格化の弊害

産業革命により大量生産が可能になると、あらゆる製造物が規格化されてきた。木材もホームセンターに行けば角材として売られていて、角材を組み合わせて家を作るのは当然の考え方ですが、角材を作る過程で少なからず廃材が生まれゴミが出ている、つまり規格化がゴミを生み出しているのだとスピーカーは指摘しています。
また、規格に合わないものをなんとか使えるように知恵と時間を費やすよりも、新しく調達したほうが安く済むという考え方が拍車をかけていると話しています。現代の製造は大量生産が可能なためモノを作るよりも労働のほうが高価と思われており、それがゴミを生み出すことに拍車をかけているとのこと。

私は家事や時間の使い方もいかに標準化して効率アップを実現するかという点に日々重きを置いているので、規格化の弊害を指摘された時は標準化の裏側で色々なものを切り捨てているのではないかと考えさせられました。

サルトルの存在と無から学ぶこと

人間は1人でいる時と他の誰かといる時では違う行動をするとサルトルは指摘しており、それは「人はこうあるべき」「こういう態度を相手は期待している」という思い込みがあることから生まれる。前述した既成概念への当てはめと似ているが、これは自分の行動さえも既成概念に当てはめてしまっており、その結果、行動、文化までもが規格化されることに繋がるとスピーカーは語っていた。

日本では何年も前から断捨離ブームで、「いつか役に立つかものいつかは来ない」と不要なものはばっさり捨てるのが正しいという考え方がポピュラーです。私も必要なものだけに囲まれたシンプルな暮らしを目指す過程で多くのものを捨てており胸が痛いプレゼンでした。
売っても10円とかにしかならない服や本は、捨てたらただのゴミになってしまうしもったいないな・・と思いつつもリサイクルショップやオークションに出さずに捨ててしまうこともしばしばです。
シンプルな暮らしの要件の1つとしてモノがゴチャゴチャしていないこと、という考え方がすでに規格化されてしまっているのではないかと悩ましいところでした。